徒然草
最近は、これを読んでいます。。。
中学の頃に国語の授業で習って以来
好きな一説『神無月のころ』
日常の中でにたような状況を見たり、自分に感じたりした時に
ふと思い出します。。。
ので、久しぶりに全章を通して読んでいます
兼好法師 独自のミスター客観視、、、
面白いです。。
もちろん、訳付ですが
この段
【十一段】
神無月のころ、心ぼそく住みなしたる庵あり。
木の葉に埋もるゝ懸樋の雫ならでは、つゆおとなふものなし。
あか棚に菊・紅葉など折り散らしたる、さすがに住む人のあればなるべし。かくてもあられけるよとあはれに見るほどに、かなたの庭に大きなる柑子の木の、枝もたわゝになりたるが、まはりをきびしく囲ひたりしこそ、少しことさめて、この木なからましかばと覚えしか。
十月のころ栗栖野というところを過ぎてある山里に人を訪ねて入って行くことがございました時のこと
はるか遠くまで続くコケの細道を踏み分けて行くとひっそりとしたたたずまいの庵があった
木の葉に埋もれた懸樋のしずくの音以外にはまったく聞こえてくるものはなかった。
閼伽棚に菊、紅葉などを折り散らしてあるのは、やはり住む人がいるからであろう。
このようにして暮らすこともできるのだなあとしみじみと見ていると
むこうの庭に大きなミカンの木があって枝もたわわに実っている木の周りを
厳しく囲っているのを見てすこし興が冷めて、この木が無かったらなあと感じられた。
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訳文の最後、この木がなかったらなぁと感じられたというところ
囲いではなくて、この木がなければ
このような人の独占欲は出なかったという点が
面白いですね
そして人って、面白い
風流である情景と作為的で人工的感のギャップを風刺する
その、観察眼がユーモラスで好きです。。。
みなさん、若葉の頃 憶えていますか〜